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北陸転職者インタビュー INTERVIEW OF HOKURIKU WHO CANGE JOBS

北陸転職者インタビュー

株式会社Hikidashi 制作部 Tさん 34歳

株式会社Hikidashi
制作部 Tさん 34歳

「今、帰ってきても、何もできないよ」と母から言われたひとこと。 ただ富山に帰りたいと思っていた自分に、喝を入れてくれた母に感謝。

富山県射水市で生まれ育ち、中高校生時代は東京の華やかさに憧れていた。大学は東京へ進学。プロのカメラマンを夢みて、数々の有名ファッション雑誌を発行する出版社のスタジオに勤務。刺激的な仕事場だったが、0時を超えるまで働くような日々を過ごしていた。

そんな時、電話口で母親に「富山に帰ろうかな?」とポツリと呟いたところ、母親からは「今、帰ってきても、あなたがしたい事は何もできないよ。カメラマンとして一人前になるまで帰ってこなくていい。」と。
目が覚めた。自分がカメラマンとして一人前と認められる為には、何が足りないのか?と自問自答。更に東京で、自分のスキルに磨きをかけた。32歳の時、職業はカメラマンと名乗れる自信を付け、地元に戻った。
今、制作プロダクションのカメラマンとして、地元の最新情報を紹介するフリーマガジンの誌面や、料理のメニュー、パンフレットなどの撮影を手掛け、充実した日々を過ごす。

PROFILE

富山県射水市出身。大学進学の為に東京へ。

在学中から写真の専門学校に通い、卒業後、大手出版会社のスタジオに入社。
スタジオスタッフとして、最先端の流行を行く雑誌作りに3年間携わる。
カメラマンとしての技術を磨く為、日本を代表するフード専門カメラマンの事務所に専属アシスタントとして入社。その後、ウェディングプロデュース会社を経て、
2012年に石川県に本社を置く、有限会社ストアインクに入社。
現在は制作部として独立をした、株式会社Hikidashiの富山オフィスにカメラマンとして勤務する。

~富山へのUターンに至るまでをインタビューさせて頂きました~

何でもあると思っていた東京。でも出てからわかった富山の魅力。


Q.今のお仕事内容を教えてください。

2014年10月から地元最新情報を紹介するフリーマガジン「Favo(ファーボ)」の制作部が独立した、制作プロダクション(株)Hikidashiのカメラマンとして、Favo富山版に掲載する表紙撮影から、お料理、商品、お店紹介等の広告写真、その他メニュー、パンフレットなどを撮影しています。地域の特色を生かしたフリーマガジンを作っていく為に、自ら営業して仕事を取ってくる事もあります。

Q.以前は、どのようなお仕事をされていましたか。

大学在学時から通っていた写真の専門学校に大学卒業後、1年間アルバイトしながら通い、その後大手出版社のスタジオで3年間スタッフとして働いていました。トップモデルの撮影や洋服・小物等の撮影について、一流カメラマンの傍で勉強させてもらいました。その後、日本を代表するフード専門カメラマンに弟子入りをし、3年間お料理の撮影を本格的に学びました。更に経験を積む為に、レストランウェディングの会社に転職。結婚式の撮影からお料理撮影、そして基本的なWEB制作まで色々と勉強させてもらいました。

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Q.富山に帰ろうと思った理由は何ですか。

富山に居た時は、東京に強い憧れがあって、「東京は何でもある。富山は何にもない。」と思っていました(笑)。だから東京の大学へ進学した時は、嬉しかったですね。でも大学を卒業して、流行最先端の現場で働きながらも、だんだん東京という所に魅力や憧れを感じなくなってきたんです。25~26歳の頃から、「富山に帰りたい」と思い始めました。

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Q.それから約7年、東京で働いていた理由は?

正直「東京での生活」に諦めがつかず、かつ富山に戻っても「就職するところ」に不安がありました。そんな時に、電話で母に「富山に戻ろうかな?」と言ったところ、母から「今、富山に帰ってきても、何もできないよ。自分は何ができるのか具体的にカタチにしてから、帰ってきなさい。」と。“帰っておいで”と喜んでくれるかな?という思いが、打ち砕かれましたね(笑)。でも、母が厳しいけど現実的な事を言ってくれたおかげで、目が覚めました。それから仕事への取組み方は変わりましたね。自分に足らないところは何か?その為に学ぶ事は何か?を常に考え、徹底的に「出来ることをカタチにする」ことにこだわった7年間でした。

Q.富山への転職活動について教えてください

ハローワークにも行きましたが、私は東京の富山県人会でUターンされた方や地元の友人に、「富山で働きたいけど、カメラマンとして採用してくれるところ知らない?」と聞いて回りました。他には、地域支援で富山の情報発信されている方々にも色々と仕事情報を聞きました。その人たちの地元ならではの意見はすごく参考になりました。転職活動期間は東京でも情報収集はしましたが、本格的な活動は地元射水市に戻ってきてからの1ヶ月間でした。

Q.どうやって今の会社に就職したのですか?

射水市の友人から、「Favo(ファーボ)というフリーマガジンって知ってる?」と聞き、その雑誌を手に取りみたところ、とっても読みやすくて、オシャレで「この雑誌いいな。」と思いました。直感で「この雑誌を発行している会社でカメラマンとして働きたい。」と感じました。そこで、求人が出ていなかったのですが、直接、石川県にある本社へ連絡をして、社長と面接させてもらいました。そうしたら、ラッキーにも「カメラマンの募集をこれからしようとしていたところです。」という事で、無事就職が決まりました。

仕事が終わってのサク飲みは出来ないけど、大好きなアウトドアが思いっきりできる。


Q.富山に戻ってきてよかった事、困った事はありますか?

よかった事は、もちろん家族や友人がすぐ近くにいること。あと、趣味が東京にいる頃から、登山やバーベキュー、スキー、野外フェスが大好きで、休みが取れたら遠征していました。でも、富山にいると、登山、キャンプ、スキーにしても、すごく近くて、安く行けます。とっても身近になったので、毎週の休日が待ち遠しいですね。 困った事は、大きくはないのですが、車通勤なので仕事終わりに1~2杯気軽に飲んで帰る事ができないことかな。あと、雪道の車の運転が苦手です。 富山に戻ってきて、よかった事は沢山あります。でも、やっぱり東京に刺激が多いことは事実。だから、東京へはたまに刺激をもらいに行っています。富山空港から飛行機で1時間、3月に開業する新幹線だと2時間の距離ですからね。

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Q.北陸転職の先輩として一言お願いします。

私の20代は、東京で仕事をすること・富山に戻ることについて、すごく悩み続けました。東京で働いた9年間という時間は、人より少し寄り道をしてしまったかもしれません。でも、ただ地元に帰ってくるだけでは、何もできない事を、母から言われ、自分でも納得ができたからこそ、20代は目標を持って仕事に打ち込めました。北陸への転職を考えていらっしゃる方へは、「仕事でも趣味でもいい、何をしたいのかを持ってUターンをすることで、やるべき道が開けますよ」という事が、私の経験からお伝えできることですね。

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